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一粒のチョコレートに秘められた歴史コラム

vol.8

2009年2月4日

 チョコレートの原料は、カカオ豆と呼ばれる木の種実です。カカオは木の幹に直接花を咲かせ、そこにカカオポッドといわれる実がつきます。カカオポッドは6ヵ月後に完熟し、長さ20pくらいのラグビーボールのような形になります。カカオポッドは厚さ1p以上の堅い殻で覆われていて、その中にパルプと呼ばれる甘く白い果肉に包まれた30〜40粒の種子、すなわちカカオ豆が入っているのです。その実を砕いて焙煎し、すりつぶしてカカオマスを作り、さらにココアバターを絞り取り、残りがココアの原料のココアケーキになるのです。チョコレートを作るには、カカオマスにココアバターやミルクなどを加えて練り上げていきます。
 チョコレートの歴史は古く、今から1400年以上前にメキシコ、グアテマラにまたがるユカタン半島で、マヤ族がカカオ農園を作って栽培していたことが壁画や土器、遺跡などから明らかになっています。ということは、それよりも遥か昔から栽培されていたことになります。マヤなどでは、カカオから作られた飲み物を“ショコラテ”と呼び、「神様の食べもの」としてのんでいました。但し、これは王侯貴族や高級僧侶などしか飲むことができず、大変貴重なものとされていたようです。また、「適量を飲むと元気になる」とされて、 宴会の終わりに出されていたそうです。当時の“ショコラテ”には、チリペッパーとバニラが 入ったものでした。昔は、カカオ豆はお金として使われおり、520年頃のニカラグアでは、ウサギ1匹はカカオ豆10個、奴隷一人はカカオ豆100個もの価値があったといいます。

 16世紀、スペイン人が、カカオ豆の効能や価値をヨーロッパに伝え、スペインでは砂糖やバニラ、シナモンなどを加えて甘い飲みもの「チョコレート」となりましたが、まだまだ庶民にはほど遠く、王侯貴族達の飲み物でしかありませんでした。その後、1847年にイギリスの会社が固形のチョコレートを発売。それからどんどんと改良され、現在の物に近いチョコレートが開発されていきました。

 日本におけるチョコレートに関する記述は、18世紀の長崎で、オランダ人から貰ったと記した文献があったり、岩倉使節団がフランス訪問中にチョコレート工場を見学した記録が残っています。明治10年(1877)に初の国産のチョコレートの広告が新聞に載りましたが、工業的に大規模に作られたのは明治32年(1899)になりましたが、価格もまだ高く、庶民の口にはなかなか入りませんでした。第2次大戦後、輸入制限もあり高級品であったチョコレートは、1960年にカカオ豆の輸入自由化で一気に価格が下り、一般に普及しました。その後バブル時代を経て、日本では海外の有名ショコラティエたちのチョコレートを輸入し、販売するようになりました。今や、世界中の繊細なチョコレートを、日本に居ながらにして手に入れることができるようになったのです。
 一粒のチョコレートを食べる時、そのチョコレートが昔はどんな風に食べられていたのか、どこからやって来たのかなどに、少し思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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