JAS法で決められている細かい分類は、歴史の古さと身近さの証しコラム
vol.11
2009年8月10日
そうめんの歴史は古く、奈良時代に唐から伝わったと考えられています。奈良時代、唐に送られた遣唐使は、唐から工芸品、薬品、香料、仏教、農耕技術や食品などの数々の文物を唐より持ち帰りました。石臼、味噌、納豆、ごま油などもこの頃伝わったといわれています。その中に索餅(さくへい・さくべい)というものがあり、小麦粉などを水で練りって細長くし、2本をより合わせて縄のようにして油で揚げ足り、蒸したりしたいわば唐菓子の一種だったのです。当時、索餅は宮廷料理として天皇や貴族などの身分の高い人が客人をもてなす時や、特別な日のごちそうでした。
その後、鎌倉・室町時代に現在とほとんど変わらない手延べ麺の製造技術が中国から伝授。そして当時はまだ一日2食の習慣だったので、朝食と夕食の間に食べる点心としてそうめんが用いられたようです。でも当時のそうめんは高級品で、まだまだ身分の高い人たちだけの食べ物でした。また、この頃そうめん作りの専門の職人もすでに存在していました。 やがて近世になり、そうめんの産地が西日本を中心に増え、生産量も増えていき、庶民もそうめんを口にすることができるようになりました。江戸時代に書かれた書物に、「7月7日にそうめんを食べると病気にならない」といった記述も見られます。
そうめんには、塩と水で練った小麦粉に油をつけ、丁寧に手作業で延ばしていく手延べそうめんと、機械を使って伸ばし、細く切った機械そうめんに、区別されます。また、そうめん、冷麦、うどんと、同じ小麦粉を練って作った乾麺の違いは、日本農林規格(JAS)で決められています。手延べの場合、長径が1.7o以上のものは「手延べうどん」、長径が1.7o未満のものは「手延べひやむぎ」又は「手延べそうめん」と表記します。つまり、ひやむぎとそうめんが同じ扱いになるのです。ところが、機械で成形した物は、長径を1.7o以上はうどん。長径が1.3o〜1.7oならひやむぎ、または細うどん。長径1.3o未満はそうめんと表記できることになっています。
そうめんの主な産地は、ほぼ西日本にあり、そうめん生産地として最も古くから文献にもその名が出ているのが奈良県の「三輪そうめん」です。江戸時代に藩が行った徹底したブランド化と品質の維持向上により、今や日本のそうめん生産量のトップとなっているのが播州そうめん「揖保の糸」。そして香川県の一部や小豆島で作られている「小豆島手延べそうめん」の3つを日本三大そうめんと呼んでいます。またこれ以外にも、生産量2位の島原そうめんや、淡路そうめん、稲庭そうめん、白石温麺などがあります。ひょっとしたら皆さんの近くにも、ご当地そうめんがあるかもしれません。今年の夏は、それを探して食して夏の涼を取ってください。