意外と歴史の古いツナ缶。日本での始まりは輸出用だったとか。コラム
vol.23
2011年10月5日
ツナ缶といえば、家庭に常備している缶詰の筆頭に上げられるのではないでしょうか。身の淡白さから鶏肉のささみに例えられ、日本国内では「シーチキン」と呼ばれ、本場・アメリカでは「Chicken of the Sea」なるブランドもあるぐらいです。そしてあっさりした味を補うためか、なぜか油漬けにされているものが多いようです。ところで、ツナ、ツナといっていますが、ツナが何を指すかご存知でしょうか。ツナとは英語で「Tuna」と書き、広くマグロ族(属と種の間)の魚を指し、カツオなどもマグロ族の中に入ります。
さてここでざっと缶詰の歴史を紹介しておくことにしましょう。缶詰というのはとても優れた食品の保存方法ですが、その歴史は19世紀初頭(1804)、フランスでナポレオンが軍事用の食品保存の方法に懸賞をつけて募集したことに始まります。その懸賞にニコラ・アベールがガラス瓶にコルクで栓をし、ロウで密封して加熱するという保存方法で応募して、採用されました。その後、1810年にはイギリスのピーター・デュランがブリキの容器と蓋をハンダ付けして今の缶詰に近い形のものを製造。1812年には同じくイギリスのブライアン・ドンキンが缶詰工場を設立しました。その頃はまだ缶切りは発明されておらず、斧とハンマーで開缶するというまことに物騒なものであったようです。
そんな缶詰の製法が日本に伝わったのは、1871年(明治4)のこと。松田雅典がフランス人の指導のもと長崎でいわしの油漬けの缶詰を製造したのが最初です。明治10年10月10日には北海道で日本人の手によってさけの缶詰の製造が開始されました。このため現在では、10月10日は缶詰の日と制定されています。
日本のマグロ油漬けの缶詰は、日露戦争の前後に各地の水産試験場で研究が進められていたことに端を発しています。昭和初期に、静岡県の水産試験場が最初に製品化に成功すると、業者に製品化を働きかけ、そのれきたものがアメリカに輸出されました。第二次世界大戦後、食卓の欧米化を見越した製造業者が、輸出用だったものを国内にも流通させるとともに、その食べ方などの普及に努め、現在に至っています。2008年現在、全缶詰生産量(369251t)の31.3%が水産缶詰で、そのうちの約45%がツナ缶で占められているのです。
ツナ缶の原料となる魚は、ホワイトミートと呼ばれる上級品であるビンナガマグロ、ライトミートと呼ばれるキハダマグロ、その他のマグロ類。ちなみにカツオを使用したものはマイルドと冠されています。ただこれらの分類はメーカーによって微妙に異なりますが、ホワイトミートであるビンナガマグロが上級品であるのは一致しています。
原料による種類分け以外に、調理方法による種類分けもあり、大きく分けると油と調味液をいっしょに缶に充填した油漬けタイプと、調味液だけを充填した水煮タイプの2つに分かれます。最近では、その中に食塩や油が一切入っていないもの、油を半分に減らしたもの、ツナ以外のコーンや豆といった素材の入ったものなどもあります。さらに、缶詰の中の身の形状による種類分けもあります。それは身が固まりになったままのソリッドタイプ(ファンシーとも呼ばれます)、身を粗く切ったチャンクタイプ、身が細かくほぐれているフレークタイプと大体3つに分けていいでしょう。それぞれソリッドタイプはそのゴロンとした見た目をいかしてサラダなどに、チャンクは炒め物に、フレークはマヨネーズなどとあえてと、身の形状によって使いを分けると調理も楽です。
最後に、意外と知られていないのですが、缶詰は製造後すぐよりも少し置いた方が調味液と中の固形分がなじんで美味しくなるそうです。ソリッドタイプなら製造後約3か月、フレークタイプならそれよりも少し短く約1ヶ月ぐらいすると、調味液、油とツナの身がなじみ、美味しくなると言われています。
みなさんも、イエローエプロンズのレシピを参考に、早速ツナ缶を開けて調理してみてはいかがでしょうか。